おはようございます。
「憤り」を感じる出来事は誰にでもあると思います。世界中で飢餓や貧困、紛争が起き、身の回りでは痛ましい事故や事件がニュースで報道されています。
あまり他者へ感情移入しないタイプの人でも「憤り」を感じることはでしょうが、「憤りをどう処理すべきか」について具体的な方策を持っている人は殆どいません。
今日はそうした「憤り」について書いてみたいと思います。
個人に出来ることは限界がある
世界の難題と向き合うための思考として「個人には限界があることを忘れない」というものがあります。
世界でも最高クラスの権力者であるアメリカ大統領であっても、自身の判断を誤り痛い目に遭っています。世の中を良くしようとする国際会議も度々開催されていますが、解決できていることは多くありません。
したがって自分の力でなにかを解決できると思わないほうが賢明です。
では、どうすれば良いのでしょうか?
時間ではなくお金を寄付してみる
もし世の中を少しでも良くしたいと思うのであれば寄付をしてみましょう。
例えば紛争に心を痛めていたとしても、救急救命や危機管理能力が無いのであれば紛争地域に行くべきではありません。
現地に既にいるスペシャリストにまかせて、彼らの活動資金を寄付するのがベストな選択です。私も少額ですが紛争地域の医療支援などの団体に寄付をしています。
直接力になれることはありませんが、寄付という形で支援することは比較的容易にできます。
そして他者を助けることは自分の幸福度も上げてくれるので、定期的に「自分の寄付で喜んでくれる人がいる」と感じることも出来るわけです。
ニュースの量を制限する
現代人はネットやテレビなどの様々な媒体からニュースを仕入れることができますが、こうした情報過多も憤りを増やしてしまう原因です。
難題に対して「関心をもっていること」と「その問題を解決する力があるかどうか」は別の問題です。
「現代コンピュータの父」と呼ばれる天才数学者ジョン・フォン・ノイマンはこんな言葉を残しています。
「世界で起きている出来事は、あなたの責任ではない」
この考えにノーベル賞を受賞した物理学者リチャード・ファインマンも共鳴し、
「意識的に社会に対して無責任であることに決めた。それ以来、前よりずっと幸せを感じられるようになった」と述べたそうです。
世界の難題を解決することの代わりに自分の仕事に集中したとしても、なんら罪悪感を抱かなくても良いということですね。
つまり、自分は自分なりの方法で世界を良くするために貢献すればいいということです。
まとめ
今日は憤りについて書いてみました。世の中にはやるせないことが沢山あります。
しかし、それら全てに向き合い解決するのは不可能です。
ささやかでも自分のできる範囲で寄付などをおこない、それによって幸福感を上げるのが最もよい解決策かもしれませんね。