おはようございます。
仕事や勉強を効率化して生産性を上げていくことを主題としている本ブログですが、無駄なことを一切切り捨てているわけではありません。
むしろ無駄な事から学ぶ事も多いと思っています。
今日は「必要悪」としての無駄なことについて書いてみたいと思います。
無駄から学べることもある
最初から効率的に仕事や勉強をこなせる人はいません。
まずは教わったとおりにやってみる。
教わったことを一通りこなせるようになったら自分の形に合わせて変化させる。
いわゆる「守・破・離」に通ずるモノがありますが、必ず最初は無駄が出てしまいます。
必要な書類を作り忘れた、必要な人へ情報が伝わっていなかった。等の無駄が必ず発生してしまうわけです。
しかし、そこから「まずかったのか、どうするべきだったのか、次はどうすればいいのか」を学ぶことが出来ます。
学ぶことが出来れば、それは無駄ではなくなります。
私の考える無駄とは「それ自体成果を産まず、なんら発見もないこと」です。
一見無駄なことでも、そこから何かを学び良くしていこうとすることが大事だと思っています。
結局、トライ&エラーが近道
たまに「完璧に出来上がった状態」を好む人を見かけます。
資料を見せてもらうように言っても「まだ見せられる段階ではない」と断ってきます。
そういう人は私の経験上、たいてい大した仕事をしていません。
いわゆる完璧主義者というやつです。
私は「まずはやってみて、だめなところは修正する」というトライ&エラーのスタイルを好みますが、その理由は
- リリースして反応を伺うことができる
- だめな点のフィードバックを得やすい
- 小さな改良を素早く重ねることができる
というのが主な理由です。
初めから完璧なモノを作ることは出来ないという前提で物事を進めます。
「拙速は巧遅に勝る」ということわざが示す通り、終わってなくともさっさと公開してしまった方が結果的にはいいものが仕上がる率が上がります。
当然、その過程で修正する手間は発生しますが、発生することを前提としているのでコレを無駄とは考えません。
要はそこから学びを得られればいいわけです。
まとめ
今日は「必要な無駄」について書いてみました。効率や生産性を意識はしていますがその過程で必ず無駄は発生します。
無駄をすべて排除するのでは無く、一見無駄なことからも学ぶ謙虚さを持ち続けたいですね。