仕事をしていればミスはつきもの。
私も少し前まで業務品質に携わる部門におり、様々な業務不具合を見てきました。
大抵の不具合は人に起因するものですが、原因追求の名のもとに犯人探しをします。
それはそれで一件落着なのかもしれませんが、本当にそれで不具合が改善するのでしょうか。
懲罰はミスではなく、報告を減らす。
さて、私が努めている会社は業務品質の不具合(例えば自治体に届出するものがされていない等)について報告するルールです。
ケースによって軽重あるものの、重大なものについてはリスク管理なるもので原因の追求と改善策の報告を経営層から求められます。
そのために、関係者を集めて事情聴取や原因の追求、対策立案を通常業務と並行して実施しないとならず、大きな業務負担になってしまっているのが実態です。
それが従業員からすれば懲罰的なのですが、こうした取組は本当にミスを減らすのでしょうか。
アメリカの病院で行われた調査ですが、投薬ミスに関して看護チームを対象に行なったところ、規律の厳しいチームほどミスの報告がほぼなかったのです。
しかし、実際には非難傾向が低いチームはミスの報告は多いものの、実際に犯したミスの数は懲罰志向のチームより少なかったのです。
これは懲罰志向が高いチームでは、ミスを報告しなくなっているということ示唆しています。
このことから「ミスに対して避難する傾向があるとかえって責任を果たさなくなる」ことがいえます。
脳は一番「直感的な結論」を出す
車を運転していて、車線変更しようと無理やり他の車が割り込んできた。というケースを考えてみると、割り込まれた側は「なんて自己中心的なやつ」と思いますが、実際には単にこちらに気が付かなかっただけかもしれません。
しかし、脳はそんな可能性まで考えが及ばないので、一番単純で直感的な結論に飛びついてしまいます。
脳はこうした性質を持っているので物事を単純化してしまいます。
簡単にいうと犯人探しをしてしまうわけです。
もちろん、私もそうです。
客観的な立場で業務不具合を見ているつもりですが、それでも「担当者が悪い」「監督者が悪い」と決めてかかるのが最も楽なのです。
実際にはそうではないのかもしれませんが、起こる出来事が複雑過ぎて脳が処理できないのでしょう。
では、どうすれば良いのか。
私は自分に置き換えてみるのが良いと思います。
他人の報告漏れなどに対して「自分は本当に報告を漏らしたことがないのか?」「同じことを自分がしないと確信をもって言えるか」
答えがNoなら物事を単純化している可能性が高いです。
もう一度、なぜそのことが起きたのか?ほかの要因がなかったのかを考えてみる方が良いでしょう。
まとめ
組織の中で仕事をしているとバッドニュースに出くわす場面が多くなります。
しかし組織が報告に対して批判的なほどバッドニュースを隠す傾向が高くなります。
あまり悪いニュースを聞かないな。とおもったら逆に危ないサインかも知れません。