7月からメンタルを病んでしまった先輩の分まで仕事を引き受けることと鳴ってしまいました。
ただでさえ仕事量が多いのに、一人分の余計な仕事が乗っかってくるわけです。
「こんなんできるか!」って感じでぶん投げたくなるところですが、せめて今の仕事を少しでも減らす工夫をしています。
そのためには「なぜこの仕事が必要なのか?」「このやり方出ないとダメなのか?」という前提を疑う必要があります。
今日は批判的思考(クリティカル・シンキング)について考えてみたいと思います。
その当たり前は必要ですか?
私は会社では総務課に所属しているので、細かい依頼を各部署から受けることが多いのですが、あまりに非効率なためなんとかならないかをずっと考えていました。
例えば蛍光灯の交換の依頼を受けたときは、私ではなく建物の用務員が作業をします。
- 依頼元から総務課に電話やメールで依頼
- 総務課が依頼内容を確認
- 総務課が依頼表を作成してFAXを用務員事務所に送る
- 用務員が総務課からの依頼を受けて蛍光灯を交換する
という手順を踏んでいました。
大事なのは交換してほしい蛍光灯の本数や場所が用務員に伝わればよいわけです。
すなわち、総務課を通す必然性がないのです。
私が着任するまでずっと意味のない仕事をしており、更にそれに何の疑問も抱かずに当たり前の手順としてやっていたことに、衝撃を受けました。
特に用務員事務所にメールがあるのにFAXを使っていたのには呆れてしまったのを覚えています。
いや、そのままメール転送しろよ!
これでは、いつまで経っても仕事は減らないですよね。
そこで私は
- 依頼元が依頼表を作成
- 用務員に直接メールで依頼
- 用務員から実施報告をメールでもらう
という形にしました。
こうすることで総務課は全く関わることなく、目的は達成されます。
というか、初めからこの形ならラクだったんですけど・・。
思考停止で仕事をするな!
私は生産性を向上することを常に考えているので無駄な手順が死ぬほど嫌いです。
何より今までこの仕事の方法に対して何の疑問も抱かなかった同僚(くだんのメンタル先輩)に対して憤りすら感じています。
今までこのやり方だから、という思考停止以外の何物でもありません。
昔からの手順を守り継いで良いのは伝統芸能や老舗だけです。
仕事のやり方は日々刻々と変わっていきます。
少しでもやり方がそぐわないとおもったら
- なぜ、この仕事をするのか?しなくても良いのではないか?
- なぜ、このやり方なのか?他にいい方法がないか?
という批判的思考(クリティカル・シンキング)が必要になってきます。
最初は手間ですが、仕組みを見直してしまえばその後は圧倒的にラクになるわけですからこんないい方法はありません。
常に健全な猜疑心を持って仕事をしたいものです。
まとめ
今日は批判的思考(クリティカル・シンキング)について書いてみました。
意外と私の周りにこのような考えができる人が少ないのですが、前提を疑うことを日常的にすることで思わぬ発見があるので、ぜひ取り入れてみてください。